この記事は青の祓魔師ファンによるただの語りです。
人と悪魔に見せる顔のギャップ
メフィストはヒトと悪魔で見せる顔が違います。
人間に対しては好意的です。人の社会と文化を理解し順応しています。常に敬語で腰は低く物腰穏やか。ヒトをおちょくる道化師、時に慇懃無礼なまでに紳士的。胡散臭くてどこか憎めない愉快な悪魔として人の目には映ります。
その一方で、悪魔に対する顔は非情です。高圧的に命令し、意に沿わぬ者は情け容赦なく制裁する。力と恐怖で悪魔を支配する姿はまさに魔王。
相手によって演じ分けるメフィスト。たまに悪魔の顔が見え隠れするのが魅力です。
メフィストの入浴中に突入して来たライトニング。ライトニングは人間の中では最強クラスですが、あくまでも人間。メフィストは人間用の顔を見せています。「きゃー」とか言っていますね。2コマ目は執事長の悪魔アザゼルに呼びかけています。メフィストの言葉遣いが変わり悪魔用の怖い顔に。3コマ目は再びライトニングでギャグ顔に。悪魔相手だと強気で怖いけれど、人間が相手だと無抵抗になっちゃうメフィスト。
人を守護する存在
メフィストの真の名は 時の王・サマエル。サマエルはユダヤ教の伝承において人に知恵の実を与えた堕天使です。青の祓魔師においても人に悪魔と戦う知恵を与え導く存在として描かれています。正十字騎士団を組織し人知れずルシフェルから人類を守護して来ました。
悪魔でありながら人間と人間の造り出すモノを愛するメフィスト。その姿には人に知恵の実を与えて堕天した悪魔の名がよく似合います。
闇の中から人を見守る悪魔
「人間ってほんとうに可愛らしい」
闇の中から人を愛おしげに見つめるメフィスト。牙を剝くシュラも、裏切る雪男も、内閣総理大臣も、メフィストにとっては等しく可愛い人間です。個々の人というよりも人類という種そのものに彼の愛は向けられています。神に等しい目線から人間たちを愛でている。
種としての違い 理解し合えぬ存在
メフィストは永きにわたり人類を守護して来ました。しかし人間側にとってメフィストは善なるものとは言い難い存在です。
トロッコ問題というものがあります。暴走するトロッコ。線路の先は2つに分かれていて、片側にはひとりの人、もう片側には100人の人。こんなときメフィストは迷わず 人数の少ない方に舵を切ります。
メフィストは人類を滅亡から救うために様々な人を犠牲にしてきました。
ヒトクローンを生み出し、非道な人体実験を行いルシフェルを鎮めるための生け贄とする。燐をサタンの受肉体として人類を守るための契約をする。獅郎や燐をメフィストが気に入っていることは間違い無いでしょう。それでも彼らは人類を守るための生け贄として捧げられました。
メフィストが人の死に何も感じないのかというと、そんなことはないでしょう。人を見捨てる時、とくにそれが親しい人間であった時。メフィストはたまに複雑な表情を見せます。
死んでいくアレンを見つめているメフィスト。その表情はみえません。アレンは聖騎士。「おとうさん」と呼ばれるくらいには特別な関係だったはずです。
「私に感謝するのはやめておいたほうがいい」
非道な人体実験を続けてきたメフィスト。それは人類を救うどころか新たな災厄を招いてしまいました。
この後ユリ・エギンは魔女として全ての罪を背負わされます。そして生まれて来た燐はサタンの受肉体として捧げられるのです。だから礼なんて言わないほうがいい。そう呟くメフィストはどこか自虐的です。
メフィストはたまに、憂いたような、どこか疲れたような表情をみせます。決して何も感じていないわけではないでしょう。それでも 人類を救うためという名目のため 誰かを迷いなく犠牲にします。
メフィストは決して無感情なサイコパスではないのです。彼にも豊かな感情ががあり人との関係性がある。しかし決定的な人との価値観の違い、種としての壁が描かれる。それが彼を非常に魅力的なキャラクターにしています。
メフィストのやることは合理的で非道。我々の倫理観からいって決して許されません。
でも、人間たちも家畜に対して実は同じようなことをやっている。疫病が流行る時、全体を助けるために一部を屠殺することがあります。人が家畜に対し何も思わないわけではありません。メフィストと人類の関係は 保護するものと保護されるもの。飼うものと飼われるものに近いかもしれない。
とはいえ、人間側からするとメフィストのやることは絶対に受け入れられない。ここには種としての絶対的な違いがある。
メフィストの人類への愛は極めて一方的です。メフィストが人とその生み出すものを愛し守ろうとしているのは確かです。でも人類にはメフィストの行いは決して理解できないし到底受け入れられない。
騎士団を生み出し人類を守護する立場でありながら、メフィストはひたすらに人間たちから嫌われています。
親子愛を理解できないメフィスト
ヒトを理解できないのはメフィスト側も同様です。メフィストは人の創り出すあらゆる創作物を嗜み、ヒトの営みをよく観察しています。悪魔でありながら人の社会と文化に対し深い理解を示します。それでいて「家族愛」「親子愛」といったテーマになると途端にガクッと理解度が落ちる感触があります。
過去を知りたがる雪男に対し、メフィストは何度も過去を見せたようです。でもうまくいきませんでした。
それもそのはず、彼が本当に知りたいのは「獅郎が自分を愛していたかどうか」です。「自分は愛されていなかった、獅郎に利用されていた」という思い込みが雪男の自尊心や生きる意味を脅かしているのです。過去を見せるのではなく雪男を獅郎に合わせ焼きおにぎりを食べさせてあげるべきだった。しかしメフィストにはそのあたりの理解は難しい。
悪魔と人と
人類の殲滅を望むルシフェル。人類と共にあろうとするメフィスト。メフィストを受け入れられない人間たち。そしてその狭間にいる燐。人と悪魔の関係はこの漫画のいくつかあるテーマのひとつに見えます。
人と悪魔は 判り合えるって 私 信じている・・・
ユリ・エギンはそう言い残して消えました。
人と悪魔との共存とは果たしてどのようなものになるでしょう。理解し合うにはあまりにも大きな種としての断絶が描かれています。
悪魔の正体
そもそも悪魔とはなんでしょうか。19巻において
彼らの正体は「概念的存在」。我々の言葉で言えば神に近い存在です。かつてウチシュマーがそう語ったように神とか悪魔という名は人間が勝手にそう呼んでいるだけの名前なのかもしれません。人が昆虫を益虫/害虫と呼ぶように、神/悪魔と勝手に呼んでいるだけだとしたら。
人は害虫や害獣を殺しますが 決してそれらが悪なわけではないし、人が善であるわけでもありません。生きるために殺す。人も動物も虫も皆、ただ生きているだけ。ひょっとしたら悪魔もそれは同じかもしれない。
もしも人と悪魔の関係が 人と野生動物のそれと同じというのならば
互いの性質を理解し合い 一線を引いてともに生きることが共生の道なのかもしれない
今はなんとなくそんなことを思っています。この物語がどこに終着するのか楽しみです。